家族の言葉に傷ついた時、自分を守るためにできること
家族の言葉に傷ついた時、自分を守るためにできること
家族との会話で、ふとした一言にざらっとすることがある。
「そんなことで傷つくなんて、弱すぎるよ」とか、「家族なんだからさ」って言われたりして。
そのたびに、「まぁ…そうか」と無理やり納得してきたけど、たぶんちゃんとは納得できてなかった。
そういうのって、何回か重なると、妙に引っかかるようになってくる。
自分にも覚えがある。
就職がうまくいかなかった時期、「あんたは昔から決断が遅いよね」って言われたことがあって。
冗談っぽい口調だったし、責められてる感じでもなかったけど、不思議とその一言だけが頭に残ってた。
当時は「たしかにな…」って思って飲み込んだ。
でもあとから思い返すと、それってただの相手の解釈だったなって思えてきて。
そのとき初めて、「あ、自分、あれちゃんと傷ついてたな」ってわかった。
もし、似たような場面が何度もあるなら、それって我慢すべきことじゃなくて、
“そろそろ心の防波堤をつくってもいい頃だよ”っていうサインなのかもしれない。
「家族だから何言ってもいい」って、やっぱ違うと思う。
むしろ距離が近い分、遠慮のない言葉が無意識に飛んできたりする。
悪気がないからって、全部が許されるわけじゃないんだよなあ。
あとで知ったけど、身近な人からの否定とか無視って、脳では“痛み”として処理されるらしい。
たしかに、何気ない一言にやたら引っ張られたり、ずっと落ち込んだりすることってある。
そういうの、ちゃんと理由があるんだなって思った。
だからって、すぐ言い返さなきゃいけないわけでもない。
まずは「あ、これちょっときついな」って気づくだけでもいいと思う。
自分は、あるときから、そういう言葉をスマホのメモに残すようにしてみた。
「いまの、ちょっと引っかかった」とか、「これはスルーできなかった」みたいなことを、短くでも書いておく。
あとから見返すと、自分がどこに反応してたのか、少し見えてくる。
あのとき言い返せなかったことを、いまはもう責めてない。
あのときは、ただ守り方を知らなかっただけだと思ってる。
それに、大人になってからでも、守る手段って覚えていけるんだなって、最近は思える。
気持ちを言葉にしてみると、不思議と気持ちの整理もついてくる。
「何がどうつらかったのか」を書いていくうちに、少しずつ整ってくる感じがある。
そうすると、付き合い方とか距離の取り方も、ちょっと見えてくるんだよね。
たぶん、一番こわいのは、慣れてしまうことなんだと思う。
本当はつらいのに、「まぁ家族だし、こんなもんか」って流していくと、
どこで傷ついたのか、自分でもわからなくなってくる。
だから、自分の感覚にはなるべく正直でいたい。
どんな相手でも、自分の心の安全は、自分で守っていい。
それって、わがままとかじゃなくて、必要なことなんだと思ってる。
今日の教訓
「気にしすぎかも」って思っても、あのとき感じた痛みはたしかにあった。
それだけは、自分でちゃんと覚えておこうと思う。